【歴史分析私論1】災害の質が、民族性を特徴づける(日本編)
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」を参考文献として何度か紹介しているが、西洋的思考と東洋的思考が違う原因自体は、この文化心理学の書物には書かれていない。
私が色々物事を判断する時に、災害時の対応を最優先に考える習慣がある。
東北は地震や津波が頻発してきた。幼い頃に見た惨禍は、私の価値基準や判断に多大な大きな影響を与えている。
子どもの頃、あるアメリカ人が「日本人は火災が多いのに、木造家屋に住む。何と愚かしいことか」と言ったと報道された。
小賢しい小学生の私は、呆れ返った。
「高温多湿の環境に、石造りは不向きだ。
その上、いい加減な造りのコンクリート建造物や石造りでは、大地震に遭ったら、中にいれば確実に圧死だ。
木造ならば、ご近所が救出してくれる可能性が高い。
だからこそ、木造なんじゃないか。
所変われば、品変わる。
大人の癖にそんなこともわからないなんて、アメリカ人って、随分馬鹿が多いんだ」
そんな事を考えたものだ。
津波・山津波の単語も、私の周囲では常識だった。
「地震の時には、(外壁が降ってくる事があるので)建物から飛び出すな」とか「テーブルの下に入れ」、「家具を置く時は必ず転倒防止対策を施す」のも、我が家やご近所にとっては、子どもであっても当然の常識だった。
ところが、必要性を強く感じない環境なら、津波や山津波の事も考えずに育つ。
家屋の柱にチェーンや針金等で家具を固定する事をしたこともない人が、日本人でさえ多いらしい。阪神大震災でそれを知った時、少し呆れた。
「自分達は特殊な民族だ」と考えたがる日本人は多い。
民族性を決定づけるものには、多様な要因がある。
だが、災害の特性とそれが民族と歴史に及ぼす影響から国民性を考えるならば、日本人が最も過酷な自然環境で生き抜いてきたとも言える。
世界の十分の一以上の火山は日本列島に集中しており、世界の地震の約十分の一は日本近辺で起きる。日本という土地は、プレート境界上にあり、高峻な山脈がある。
毎年来襲する台風は、土砂災害を頻繁に起こす。
その上、モンスーン地帯のため集中豪雨も頻繁で、大地震や台風がなくとも土砂災害の危険性は常時ある。
地震と津波、台風と集中豪雨による土砂災害の危険性は、常につきまとってきたのだ。
その災害は、時として、一族の大半が死に絶えるような場合も多かったため、中国・韓国のような氏族中心ではなく、居住地中心で思考する傾向が高いのだろう。
大地震を頻発に起こす活発な造山活動が造った高峻な山脈は、森林に覆われている。
傾斜角が異常に高いため、無計画な森林伐採は土砂災害を多くし、住民の寿命を縮める。
国土の利用は無意識に制限され、人々は、土砂災害の可能性が少ない昔ながらの平地に当然群がる。できるだけ、土砂災害から安全な土地に住みたがる。
その結果、火災の不安があっても、乏しい平地に集団で住む傾向が強い。
火災は個人の心がけの積み重ねで防げる。
地震や土砂災害に比べれば、はるかに対策を考えやすい。
日本人の団結しやすい習性は、災害に常時備える習慣と密接に関連があると思う。
そんな日本人が特異な民族性を持っていても、何ら不自然ではない。
それほど災害があるならば、その土地を捨てればいいと考える人もいるだろう。
だが、日本列島から抜け出すためには、台風や集中豪雨を避け、東シナ海や日本海を渡る必要がある。
古代・中世では、海難事故に遭う可能性のほうが高かった。
逃げようにも、逃げた先には、平地で農耕を行う先住の日本人が大抵いた。
列島全体が絶海の孤島に近い条件の古代・中世日本で、台風、集中豪雨、地震、津波、そして火災の災害を経験した日本人は、他の地に逃げようがない以上、今いる土地で住民同士で団結して対処する以外ないと考えただろう。
団結できなければ、今年中に災害で自分が死ぬかもしれなかったのだ。
そうなれば、何よりも団体行動を乱す子どもが最も罪深い性質をもつと、昔から日本社会が認識してきた事は、論理的に説明できる。
団体行動を乱す性質は、災害時に周囲に迷惑をかけ、集団で団結して災害を生き抜くことを邪魔する可能性が高いと考えられたからだ。
その子の我が儘な性質が、いつか自分自身の死をもたらす事を想像してしまえば、忌まれて当然だろう。
この自然条件を考慮に入れないで日本人の特性を考えると、ルース・ベネディクトのように、「日本人は生まれつき更生不可能な、全体主義的な民族だ」と言う風になってしまう。
日本人は全体主義ではなく、防災のために団体主義的傾向が強すぎるのだ。
あらゆる長所は、時と場合に欠点となる。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」だ。
日本人やモンスーンの影響で水害に遭ってきたアジア人の多くの価値観は、米国人のベネディクトには「確固たる規範が全くない」と見えたようだが、一番重要視される徳目は時折「中庸」であった。
極端に走り、たった一つの対策にだけ拘る事は、集団が全滅する可能性を高めるだけだ。
絶対的規範よりも、極端を諫めることのほうが実効的であり、実際的だと思う。
自己本位な行動をする者は、災害時に役立たないどころか、逆に、防災の妨害をしかねない。
そういう行動をしがちな者に対して、村八分の伝統があったのには、一定の合理性はある。
ただし、あくまで合理性は限定的なものであり、過ぎれば逆効果どころか害ばかり多いことを忘れやすい日本人も多い。
同時に普段は割合、他人が何をしようが基本的には寛容な社会である。
「いざ鎌倉」的に、集団の危機に対する対応ができる者と判断されれば、大抵の事は大目に見てしまいがちだ。
一番重要な事は、災害時に役立つことであり、それ以外を曖昧にしがちなのは、日本人の特性の一つだ。
その代わり、普段から身勝手と周囲に判断された人々を、村八分にしがちで、集団と違う性質を持つ人々を、すぐ排除しやすい性質を持つ。
集団がその人物を充分に理解できなければ、「防災の(潜在的)妨害者」と錯覚されやすいのだ。
こういう特性は、日本で土砂災害がなくならない限り、必ず残っていく文化的・民族的特性かもしれない。
つまり、団結力の行き過ぎによる人権侵害を、常に警戒していく必要がある。
違う意見を排除しすぎれば、技術革新などの衰退をもたらし、集団の腐敗を招く。
腐敗した団体上層部は、私利に走って、最終的には災害への対応を遅くし、本末転倒になる可能性が高い。
なんのために、日本では団結を重要視されるのかを理解し、保守的傾向が強いかをよく考えておかないと、集団の腐敗ばかりを招き、選民思想で集団が自滅しやすい。
その点をよく踏まえて、歴史、社会、文化を考えてもらいたい。
日本人は、物事を曖昧にしやすい傾向が強すぎるのも、意見対立により集団の団結力を削ぐのを嫌うからだろうが、論理的に社会や歴史を冷静に分析することは、日本だけではなく世界全体の未来を考えるために重要だろう。
イゲランド氏が言ったように、災害対策の知識と技術の集積が最も進んだ国は、日本である。
日本人のやり方がどこにでも通用するわけではない。
それこそ、「所変われば品変わる」からだ。
だが、今、世界全体が、未曾有の自然災害に襲われている。
世界の人口は増えすぎ、中世の日本程度の人口密度の国だらけになっている。
今の土地を捨てて別の土地へ行くことは、他国民の迷惑になり、紛争や戦争の火種になっている。EC諸国のようにその土地で平和共存を目指す以外にないのだ。
地球温暖化は、岩盤にも影響を与えているらしく、70年代から話題になっていたが、地震検索システム EQLIST によると、80年代から急速に地震発生数が増えている。
環境問題を言い出す人を、「環境ファッショ」と言って批判していた人をネットで見かけた事があるが、死にたくなかったら、今、地球温暖化対策と防災を真剣に考えるべきだ。
そして、米国に京都議定書に加盟するように積極的に圧力をかけなければ、次の巨大地震で死ぬのは、貴方かもしれない。
次の巨大地震で死ぬのは、実は私ではない。なぜなら、地震エネルギーが頻繁に放出されている土地に住むので、巨大地震は当分起こりそうにないからだ。
東北以外の日本人にこそ、危機感を持って頂きたい。
日本人ほど、今、世界が必要としている知識を知っている人口が多い国は存在しないのだ。
これから、東南アジアあたりで、復興の技術支援に日本が力を尽くさなければ、十年後にはまた似た災害が起こりうる。
少しは、危機感と使命感を持って頂きたい。
米国人も、本当に何を考えているのか。
米国を襲うセンサーの量を増やすと言っていたが、そんな事より、サン・アンドレアス断層の分析のほうをしてほしい。ロス周辺を十年程度で死者が出る規模の地震が起きている。
アメリカ本土の地震(調べられたものだけ。平凡社「世界大百科第二版」より)。
1906年 サンフランシスコ大地震(M8.3)
1964年 アラスカ中南部地震(死者100名以上)
1980年 セント・ヘレンズ山噴火(ワシントン州)
1987年 ロサンジェルス地震(マグニチュード6.1;死者6人))
1994年 ロサンジェルス地震(マグニチュード6.6;死者61人)
そろそろ次のロス地震か、サンフランシスコ大地震が来てもいい頃だ。
その防災対策を考えていないのが理解不能だ。
地震の前に水害があると、死者増えるぞ~。
昨年はタイフーンだったし、今年は既に太平洋岸の水害。
京都議定書に米国が参加すれば、中国も入らざるを得ないのに。
困ったものだ。
「♪わたしゃ、テロより米国のCO2が怖い~」
参考文献:
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」
「内なる外国―『菊と刀』再考」(C.ダグラス・ラミス;ちくま学芸文庫)
「世界宗教史〈1〉」(全8巻;ミルチア・エリアーデ;ちくま文芸文庫)
「菊と刀―定訳現代教養文庫 A 501」(ルース・ベネディクト)
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