【東北の祭】竿燈から、ねぷた・ねぷたへ
東北以外にあまり知られてないだろうが、秋田県と青森県津軽地方は、実に密接な関係がある。元々は同じ一族(安東氏)が支配した領地であり、その影響は今も残っている。
どのような経緯かというと、一応。
前九年の役(1051-1062年)で、安倍貞任(あべのさだとう)の安倍氏は滅亡しているが、津軽地方の豪族・安東氏は貞任の子、高星の後裔を称していた(事実関係は不明)。
室町時代に、安東氏は下国(しものくに)と上国(かみのくに)の二家に分裂し、上国家は現在の秋田市周辺、下国家は津軽を領有していた。下国家は後に南部氏に津軽を追われ、檜山(現在の能代市周辺)に移動した。戦国時代後期、二家は統合され、秋田氏に改姓し、移封後、三春藩藩主となって幕末を迎えた(福島県田村郡三春町)。
ということである。(ウィキペディアより http://ja.wikipedia.org/wiki/ 細かい事情は、やはりうろ覚えだった^^;)
今、東北地方は一斉に夏祭りが始まる時期なので、竿燈のHPをたまたま見ていたら、なかなか面白い記述を見つけた。
竿燈は、江戸以前は「ねぶり流し」と呼ばれていたようだ。
灯籠流しといえば普通、お盆だが、旧暦の七夕にも灯籠流しが行われていたそうで、その時使われていた灯籠が、竿燈の提灯に変化したらしい。
「ねぶり・ねぶた(い)」は、古語で「眠気・眠い」を指す言葉だ。
ねぶり流しは、
「真夏の病魔や邪気を払う」(秋田竿燈)、
「けがれを川や海に流す禊」(青森ねぶた)、
「暑さの厳しい、しかも農作業の忙しい夏季に襲ってくる睡魔という、目には見えない魔物を追い払う」(弘前ねぷた)という行事で、元々は同一と言える。
つまり、旧暦七夕に灯籠流しをする同じ祭だったのが、人口が増えた藩政期に、特に顕著に変化し、
・灯籠が提灯の群れに変化し、消防の纏のようになったり(秋田竿燈)、
・一つの灯籠が巨大化し、夜に山車として曳くようになったり(弘前ねぷた)、
・灯籠という原形をとどめないほど、描かれる人物を立体的にデフォルメして表現し、特徴的な踊りの参加者(ハネト)まで加わったり(青森ねぶた)と、
随分違った形になったのだ。
祭は、特定の人物のみが祭祀を司るものほど古い傾向があるとされるので、秋田竿燈のほうが弘前ねぷたより古い形かもしれない。また、青森市は、藩政時代中心だった弘前市より、遙かに歴史が新しい街だ。
従って、秋田竿燈 → 弘前ねぷた → 青森ねぶた と、新味と独自色を求めて変化して行ったのかもしれない。
だが、恐らく千年前には同じ祭だったのである。
そんな変化の可能性を考えながら、東北の夏を満喫するのも、面白いのではなかろうか。
秋田竿燈
夜本番 8/3~8/6 19:00~20:40頃まで
昼竿燈(妙技会) 8/4~8/6 10:00~15:20頃まで
弘前ねぷた
8/1~8/6 19時頃から22時頃
8/7(午前運行) 10時~12時頃まで
(※1日~2日雨天順延、3日目以降は雨天中止)
青森ねぶた祭
8/1 前夜祭 18:00~21:00頃
8/2~6 19:10~21:00 大型ねぶた運行
8/7 13:00~15:00 大型ねぶた運行
19:00~21:00頃 花火大会・ねぶた海上運行
秋田竿燈まつり - 秋田市竿燈実行委員会公式WEBサイト
http://www.kantou.gr.jp/
ねぶたがり屋(弘前商工会議所による、ねぷた運行情報サイト)
http://www.neputagariya.jp/index.htm
青森ねぶた祭オフィシャルサイト
http://www.nebuta.or.jp/kiso/yurai/index.html
我が街もお祭りだ。
でも、有名でないし色々恥ずかしいので、宣伝は敢えてしない(笑)


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