【ことのは問題】松永さん、永平寺あたりに一年行ってきては?^^;
一年以上闘病に専念しているうちに、Big Bangさんも随分と厄介な事に巻き込まれたようだ。
正直私は、松永さんという方には、当分常識的な話、まともな話が通じないだろうと感じている。
「AnotherB」というBig Bangさんの別ブログ、「ジャーナリストとブロガーは、本当に対極にあるのか」というエントリーのコメントでやりとりして思った事だ。
ここでわざわざ『戦線』を拡大するつもりもないが、黒崎氏にしろエレニ氏にしろ、松永さんが受け取っているほど悪意で言っているとは思われない。むしろ、
「ここで逃げずに、自らの内なる矛盾を、悪を直視せよ」「過去と決別するために、過去を吐き出せ」と言っているだけだろう。
松永さんは「善意の押しつけ」とか「余計なお世話」と考えているようだが、本質的には悪意でも敵意でもなかろう。
悪意というものは、自分の外にあるものと考えては物事がわからなくなる。
誰にでもある、自分の内なる悪の部分を自覚しないからこそ、「悪意」として増幅されてしまうのだろう。
それが松永さんにはまだわかってないと思うのだ。
けじめをつけて初めて見えてくるものというものが、世の中には確かにある。
松永さんにけじめをつけさせるために、「文章を書いて心の整理をし、新たな一歩を踏み出せ」と言いたいだけだと思う。
方法論としては、心理学的に正しいとは言える。
だが、松永さんが過去を直視できる状態になるまで、冷静に過去を振り返れるようになるまで、後十年はかかるだろう。
嫌な記憶・辛い記憶と向合うことは、本当に精神力と時間が要る。
だからといって、「そっとしておいてあげましょうよ。それが思いやりってものですよ」と言う気にも私はなれない。それでは、逆戻りしてしまう可能性も高いからだ。
恐らく今まで、松永さんがそんな心優しい人達にすがってばかりきたため、未だに黒崎氏らの厳しい善意の部分が見えて来ないのではないか。
だから、体験取材でもするつもりで、松永さんが現在身を置いている日常と一年ほど決別するべきではないか、と考える。
転地療法と森田療法に当たる話だ。
現在の状況では、閉塞感が強まっているだけに、批判的な意見が総て、悪意ばかりに強調されて見えてしまうのだろう。一時的にきっぱり離れたほうが本人のためだと思う。
お勧めなのは、
(1)沖縄あたりで農家か漁師の家で仕事を手伝いながら、彼らの日常を見て体験手記を書く。
日光がさんさんと降る環境で身体を動かすと、身体も丈夫になりセロトニンも増えて、精神的に強くなる。
(2)お遍路さんに話を聞きながら、四国八十八ヵ所を徒歩で走破する体験手記を書く。
足は「第二の心臓」と言われ、あれだけの距離を歩けば丈夫になるし、くよくよ考える時間も減る。自然にも触れられるし、嫌でも精神的に強くなる。
(3)永平寺あたりに入れてもらい、一年ほど禅僧として修行をしてみる。
粗食で労働としてもきつい部分もあるので、健康を取り戻しやすい。ちゃんとした指導者の下で座禅を組めば、魔境にも陥らない(※「魔境」は自分が悟ったという錯覚の境地であり、座禅が逆効果になるものだそうだ)。
とまあ、屁理屈を述べてみたが、私が言っている意味が松永さんに伝わるかどうかは、それこそ自信がない。聞く耳を持っている人ならば、とっくの昔に過去の手記を完成させられているだろうし。こんなシンドイ修行に何の意味があるのかと思うかもしれない。
とりあえず、松永さんが精神的に追い詰められているのは事実だろうから、常識的な意見を言ってみたまでである。
但し、彼を精神的に追い詰めているものは、私でもBig Bangさんでもない。
恐らく、黒崎氏でもエレニ氏でもない。
彼自身の心の内にある、甘えや責任転嫁だろう。
松永さんには、「わかったつもり」だけのことが多すぎるように感じられてならない。
ちなみに「わかったつもり」は、西林克彦著、光文社新書です。
基本的に読解力に関する本なので、勧められたら「バカにしてんのか!?」と怒る方も多かろうが、意外に奥は深い。丹念に読まないと真価がわからないと思うが、誰にでも読む価値はあるでしょう。たったの700円+αだし。


全く同感ですね。
松永は今は何を言っても聞かないようですが、
以前のように意見の違う人間を取り巻きと潰して回るような立場にあるわけがないんです。
それがまるで見えていないとは・・・
頭のネジの外れた連中をとりまきにして、裸の王様をいつまで続ける気なんですかね・・・
Posted by: Atsusi | February 21, 2007 at 09:55 PM
以前に何があったか、詳しくは存じません。
ですが、今の状況はストレスで一過性のうつ症状のようなものでしょう(念のために、うつ病だと言ってないですからね)
私は、彼は被害妄想によって、ちょっとでも意見が合わなければ敵に見えてしまうほど、追い詰められてるだけだと思います。
厳しくして効果的なタイプの人なら、そもそも新興宗教に救いを求めたりはしなかったでしょう。
厳しさも相手を見て言わなければ、本物の優しさとは遠くなってしまうと思いますよ。
ちょっとそっとしてやって下さいよ^^;
Posted by: りーと | February 21, 2007 at 11:58 PM