賢しらぶって厄介なニュースを論評し、
裁判が明らかになった時当たっていたか
どうか気にする事はままあり、未熟者の
私はついしてしまう事だ。
ここで導き出された結論より、
推論の仕方の方法がこれで正しいか
考えて頂きたい。
どちらにしても論評することで、
加害者家族も遺族、友人知人など
たくさんの方々を傷つけてしまうかも
知れないが、発想法の意味を理解して
頂ければ、皆さんの家族が将来
巻き込まれるかも知れないトラブルを
避けやすくなる気がするので書く。
人は常に、他人にラベルを貼って生きている。
あまりにたくさんの人々と生きるため、とりあえず
「この人はこういう人」というラベルを貼らずには
何事もできないからだ。
あくまでラベルは仮のものだ。
日々本人に接するたび、心の中で新たなラベルに
張り替えて生きていく。
「Aさんは優等生で苦手なタイプ」とか
「Bさんはヤンキーっぽい」などと書いてある
心の中のラベルは、
「Aさんは優等生だけど他の人に冷たい」
「Bさんは怖いけど優しいところがある」等と
日夜変わっていく。
ところが、一度貼った心の中のラベルを
一切変える必要がないと考える人が、
最近とても増えたように思う。
それを「レッテル」と人は呼ぶ。
加害女児を加害女児と呼ぶのは人間扱いしていないようで
自分を嫌になりたくないから、A子さんと呼ぶ。
顔の部分は紗が入っているが、A子さんの両親が
泣きながら報道陣の前に姿を晒したのを見た時、
「ああ、この子は助かる」と思った。
早決めだろうが、逃げない親の子は更生するものだ。
A子さんには死そのもののリアリティが全くなかったろう。
今時の子どもは死を見詰める機会が少ない。
死を見なければ、生を考えず、
よく生きる事の意味を考える機会も失う。
今、「死」の教育、つまり死とは何かを考えさせる
教育の重要性が増している。
そもそも私の意見は、岸田秀氏と養老孟司氏の影響が強い。
だから岸田氏なら既に似た見解を出しているのかも知れないが
無精な私はきちんと調べていない。
10~12歳のあたりに、推理小説のブームに出会った経験は
ないだろうか。
その年配の少年少女は性について強い興味を持ち出すが、
同時に「殺人」にも強い興味を持つようだ。
それが推理小説のブームだろうと思う。
誰でも自分が知らない事に多少の好奇心を持つ。
「なぜ人殺しが起きるか」に興味の重点を持つ人もいるだろうが
「自分も人殺しをちょっとやってみたい気がする」という
好奇心をもつケースは昔から案外多いのではないか。
だが、実践する者は稀だ。
推理小説を読む事で「微かな殺意」や「興味本位の殺人願望」が
昇華される。
昇華されない場合は、殺人願望が偏執的に強固になっていった者、
具体的に殺意を持つ人物がいる場合、
あるいは目立ちたいがために殺人を願望する者の
少なくとも三ケースが考えられる。
私自身には、当時具体的に殺意を感じた人物が実在した。
その人物が遠くにいたため、回避されたと思う。
「早く死んでくれて助かった」とすら思った。
多分、同じ条件下なら、殺意を感じる人が多いと思う。
それでも、そう考えてしまった自分に情けなさで
一杯になる。
長崎の事件ではまず、A子さんの「興味本位の殺人願望」が
強固になっていったからだろう。
報道を見る限り、怜美ちゃんが、殺されるのに充分な
恨みとその理由が見あたらない。
「誰かを殺してみたい」という気持ちが無意識に強くあり、
その実現可能な対象として、たまたま怜美ちゃんが
選ばれたのではないか。
問題は、「興味本位の殺人願望」を実行へ繋がる執念へと
変化させたものは何だったのかだ。
親御さんには酷な話になるが、母親への憎悪が発端かも
知れない。
親に対して強い憎悪を抱いた経験は、たくさんの人にある
はずだ。エディプスコンプレックスとかエレクトラ
コンプレックスがある。
だから、エレクトラコンプレックスはそんなに珍しいもの
ではない。
勿論、母親を愛しているのだから、二律背反になる。
そのため、母親は殺害の対象から外れる。
自分の思い通りにならない事は世の中多い。
だが、この年輩の少女にとって、受験のために部活を
「理不尽」に辞めさせられる事は、相当量の
憎悪のエネルギーを産み出したはずだ。
大体、「本人のため良かれと思って」と受験を子どもに
無理強いする親は多いが、時折受験のほうが、子どもの
人格形成や道徳を学ぶ機会を奪うような事が多い。
しかも本人の反発を当然招くのだから、
この教育方針は大抵了見の狭い考え方だ。
私だったら、当然親に抗議をする。
ハンスト位やる。
このA子さんには、親に対する正当な抗議だと
認識できなかったのか、正当な抗議をする事の
大切さを学べなかったのか、それはわからない。
強い憎悪のエネルギーが歪んだ形で、怜美ちゃんへ
向かったのではないか。
A子さんにとって、怜美ちゃんは相当目障りな
存在だったように思う。
怜美ちゃんがしっかり者だったからだ。
母親を失い、家族を支えるために自ら部活を
辞めた者と、親の命令で渋々辞めさせられた者。
劣等感を抱くには充分だ。
その劣等感を本人が一番認めたくなかったかも
知れない。
劣等感を強く刺激されたら、「興味本位の殺人願望」は
実行に充分な殺意になりうる。
A子さんの眼には以前から、本物の怜美ちゃんではなく
A子さんの心の中にいるイメージの怜美ちゃんが
存在するだけで自分を嘲笑していると強く感じていた
かも知れない。
そして悪意を増幅しやすいものが介在する。
インターネットとバトルロワイヤル、そのビデオだ。
人は日々心の中で相手に貼ったラベルを貼り替えている。
現実の怜美ちゃんとのずれが修復されなければ、
虚像の怜美ちゃんを本物と思い込むだろう。
元々怜美ちゃんに嘲笑されている気がしたA子さんに
とって、「体重が重い」の一言が虚像の正しさを強化する。
インターネットで血文字のようなHPが立てられ、
A子さんは異常な内容をファンタジーとして書いていた
かも知れない。知的ゲームのつもりだったろう。
だが、人間にいい影響を与えないものをずっと続けるなら
ブラックジョークのつもりでやった人間自体が、
ブラックジョークの本質にある悪しきものに染まる事は
ままあるのではないか。
「興味本位の殺人願望」は血文字のHPで強化され、
クラスメート全員への嘲笑に及ぶ。
反発を感じないクラスメートはいなかったろう。
その中に怜美ちゃんがいる。
怜美ちゃんの批判は、彼女の心の中の虚像の怜美ちゃん、
彼女を蔑んでいる怜美ちゃん像を強化していく。
その先にあった結論は、「こんな奴、殺さなきゃ」という
思いこみだったろう。
本当に彼女が殺したかったのは、実像の怜美ちゃんではなく
虚像の怜美ちゃんであり、虚像の怜美ちゃんはA子さんの
母親のイメージが強く投影されていたのではないか。
しっかり者で大人びていた怜美ちゃんの中に、
彼女の強烈な怒りの根源である母親のイメージを
見ていたのか。
A子さんは母親も怜美ちゃんも殺したいと思って
いなかったかもしれない。
虚像の怜美ちゃんこそが、殺したい、正確には壊したい
ものだったのに、虚像を解体するのではなく、
虚像とのずれを認識して、思い違いを修正することなく
実体の怜美ちゃんを殺してしまった。
多分、まだ悪い夢の中にいる。
悪い夢の中では、とても意地悪な怜美ちゃんがいた。
その怜美ちゃんを殺したのは、あくまで夢の中。
もしかすると、精神鑑定で異常が見つかるとしても
犯行当時より、現在のほうに現実との乖離があり、
正常に社会を認識できなくなってしまったかも
知れない。つまり本人が犯行を行っても殺人の
ショックのため、一時的に現実が把握できなくなった
かも知れない。
だから「本人に謝りたい」という言葉が出てくる。
まだ生きていると錯覚している。
殺したのは、ゲームの中、悪夢の中である。
怜美ちゃんを殺したものは、異常な心理状態に
あるものではなく、本来衝動や欲望を抑えるために
古くからあったストッパーが役に立たなかったためだ。
それを子どもに叩き込む事をほとんど考えない
親御さんが増えたが、叩き込むべきは常識ではなく
良識である。
良識がないから、犯罪や汚職がある。
他人を傷つける言葉を平然と言って顧みられない
思いやりの欠けた人々がいる。
もし、お子さんが死を見る機会があったら、
できるだけ多く、死んだ人を悼む人々の姿を
見せてあげて下さい。
長崎の幼児殺害事件では、母親が父方祖父の
葬式をボイコットしている。
これでは人間の命が安っぽいものと子どもが
学習しかねない。
孫に参列してもらう資格がない人がいるのだと
教えているようなものだ。
実際には、母親が父方祖父の死にショックを
受けて傷ついている親族がつい言いがちのきつい
言葉に腹を立てたのだが、それが動転している
人の言葉だから大目に見るべきだと、当然考える筈の
ものが彼女になかったのである。
母親の教育のお陰で、祖父の命の価値は
幼かった少年の心の中で大暴落だったろう。
見つからなければ、世の中には虫けらのように殺しても
差し支えない人間が多数存在するのだと思い込ませる
絶好の機会だったろう。
だから、長崎の少年の場合は、親も「逃げている」のだから
更生は神戸のケースよりも遙かに難しく思う。
ただ、A子さんの両親は逃げなかった。
多少の教育の失敗は誰にでもあるので、私には
強くは責められない。
だが、子どもに与えるべき教育内容に関する
世間の常識がおかしいと私は思っている。
だから、また似た事件は起きるだろう。
そのために、子どもに与えるべき教育の本質を
お一人お一人見直して頂きたいのだ。
つい、親御さんが他人を蔑む言動を見せてしまって
いないか?
親が蔑む人がいるなら、自分が殺したと
わからない方法なら親に蔑まれた人々を殺しても
いいと教えているようなものです。
我が子を殺人者にしない教育を考えて頂きたい。
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